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The Miscellany

脱力おばさんの思い出話やつまらない日常を綴るブログ

遠い海を旅している小さな船の上で

遠い海を旅している小さな船の上で

地球

今年、よかったなと思うことは、前からこつこつやっていたことが、それなりに進歩したな、というところである。
おおむねの場合、人は、前からこつこつやっていることでしか、進歩はしないのだ。
1年前と比べたら、できなかったことが、できるようになっている。
私の場合には、なんかすごい幸運に出会うということよりも、少しずつでも、成長したということが、人生の喜びである。

遠い海を旅している小さな船の上で、もっと遠い夢を見てる誰かを、1人くらいは、見つけることも、できて、それも、よかったなと、思う。
そういうことは、たぶんだけど、80年くらい生きるとしても、人生において、そんなにしょっちゅうは、ない。

乗客どうしでもめることのアホらしさ

私は、「遠い海を旅している小さな船の上」で、乗客どうしで、あれこれもめることが、何よりも、嫌だとか、バカバカしいと、思っているのである。
みんな、いずれは、船の上から、いなくなるのに。
今の地球は、たぶん、満員で、乗船率が200%以上とかであろう。
「地球のための人口抑制」について、具体的な努力をして、成果を上げたのは、ほぼ、中国だけである。
ベトナムも、やっていたけど、あんまり成果が出ているようではないらしい。
そして、それ以外の場所では、相対的に見れば、人の数は、どんどんどんどん、増えている。
別に、悪意がなくても、医療が進歩すれば、増えるに決まっているのである。
悪いことではないけれど、ホーキングが言っているように、これを続けたら、地球の上で人類が生き続けるということは、できなくなる。
今後、人口は、もっと減らさなければ、物理的に、地球がもたない。
しかし、船が満員だからといって、誰かを放り出すとか、誰が不要なのかを決めようとか、そういうのは、私は、賛成できないのである。
それは、自分が選ばれたら、嫌だから、だ。
自分がされたくないことは、他人にも、強制できない。
誰が不要なのかを決めるために、誰が一番偉いのかを決めようとか、そのために、ケンカをして、決着をつけようとか、そういうのも、嫌なのである。
今は、確かに、満員だろう。ぎゅうぎゅうで、居心地は、よくない。
そして、特等室にいる人たちは、「こっちへ来るな」とか、「人の数が増えたからといって、こっちの待遇を落とすな」とか言って、必死になって、怒っている。
それで、どうやって、自分たちの生活資源を確保しようかとか、どうやって、邪魔な人たちを追い出そうとか、どうやって人の数を減らそうかとか、そういうことばっかり、考えてる。
が、すし詰めの満員のまま、乗っている誰もが、なんとか、船の上で数十年を過ごして、そして、安らかな気持ちで、下船していけるように、そのための「マシな方法」を考えるしか、ないと思うのだ。
自分が追い出されることが、嫌ならば、そうするしか、ないじゃないか。

満員の船で、譲り合う気持ちになれない人たち

だから私は、特定の国や国民が、威張り散らしていることが、嫌なのだ。
人は、生まれて死ぬだけの、取るに足りない存在である。
例外はない。
だったら、地上にいるわずかな時間を、誰もが、せいぜい楽しく、平和に生きたほうが、いいに決まっているではないか。
この前、あるアメリカ人に、そういうふうに言ったら、「漫然と生きているだけでは、生きる価値がない」とか、「自由のために戦って死ぬことこそ、価値ある人生だ」とか、言うので、げんなりした。
そういう人がいると、ほかの人は、困るわけ。
「自由のために戦って死ぬ」というふうに思っているのは、本人だけで、やっていることは「特等室にいる人たちの待遇を落とさないための争い」、なのである。
だから私は、アメリカが嫌いなのである。
個々のアメリカ人が、悪いのではない。
が、個々のアメリカ人が、そのことに気がついてくれるまでは、そして、「満員の船で、譲り合って、わずかな時間を、それぞれが、せいぜい楽しく過ごそう」という気持ちになってくれるまでは、私は、アメリカ人には、屈しないのである。

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