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The Miscellany

脱力おばさんの思い出話やつまらない日常を綴るブログ

アラフィフになるとわかる「一期一会」の意味とか

薔薇

一期一会の意味とか

雨も降って、寒い。
結局は、さわやかな秋というのがないまま、暖房が必要な冬に突入してしまった。
誰に文句を言ったらいいのかって、誰でもないから、腹が立つのである。

一期一会という言葉は、よく聞くけれども、これは本当だな、と、このごろになると思う。
半世紀以上生きると、これまでに知り合ったすべての人と、接触を保っているなんていうことは、有り得ない。
知り合って、ある程度は仲良くなったとしても、それが、ずーっと続くということのほうが、稀である。
特に必要がなければ、なんとなく疎遠になって、そして、ああ、あの人はどうしているんだろうなとか、まだ生きているのかな、なんて思うわけである。
そしてたぶん、このまま、死ぬまで、会うこともないだろうという相手のほうが、多いのだ。
だから、誰かと知り合って、親しく語り合っている瞬間というのは、実は貴重なものだったりするのだが、それは、その瞬間には、日常の一コマでしかない。

自然に忘れたいのに、それが難しい有名人

有名人や、芸能人の場合には、「相手のことを自然に忘れる」というのは、なかなか、難しいのかもしれない。
見たくなくても、相手の顔を見たり、名前を聞いたりしてしまう。
中森明菜とか、宮沢りえとか、大変な時期があったんだろうなあ、と思う。
特に、宮沢りえなんかは、無関係な他人から、「宮沢りえのようになってもいいのか」なんて、結婚を迫るときの文句に使われたりして、いい迷惑である。
さらに、四半世紀近く前の話でも、話題として取り上げられてしまうとか↓
中森明菜などは、何を見ても別れた男が出ているから、何も見られない、みたいな状態になって、そういう場合には、外国にでも行くしか、ないだろう。
そういえば、石原真理子なんかは、有名な男と別れたあと、外国に行ってしまったな。
それはまあ、有名人の場合には、そのほうが、正解だろう。
しかし、この人の場合は、「美人の老け方」としては、最悪だな、みたいな。

自分は、有名人ではなくて、よかったな、とか、親しくした相手の中に、有名人が一人もいなくて、よかったな、と思ったりするのだった。

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