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脱力おばさんの思い出話やつまらない日常を綴るブログ

悲愴感漂う槇原敬之の父

悩む父

悲愴感漂う槇原の父

槇原敬之の「父」が、出てきたらしい。
かなり悲愴感が漂っている。
槇原敬之逮捕で一家離散へ…父語る「息子の人生もう終わり」(2020年2月18日)
69年5月、大阪府高槻市に生まれた槇原容疑者。父の博之さんは電器店を営んでいたが、一人息子の才能開花のためにサポートを惜しまなかったという。

「槇原くんは5歳のころ、保育園の先生の影響でピアノを習い始めました。当時、男の子で音楽をやっているなんて彼ぐらい。でもお父さんは、誰よりも彼のことを応援していました。仕事が忙しいのに、よくコンサートに連れていったりしていてね。小学校のときには、彼が『家族で(ピアニストの)リチャード・クレイダーマンの演奏会に行ってきたんだ!』とうれしそうに言っていたのを覚えています」(地元住民)

中学に入ると、友人とポップス同好会を作った槇原容疑者。次第に一目置かれる存在となっていったが、その陰にも父の応援があったようだ。

「彼の家には、高価なオーディオがそろえられていました。それに、20万円以上するキーボードも。音楽にのめり込んでいく一人息子に、お父さんがプレゼントしてくれたのでしょう。おかげで、槇原くんはどんどんうまくなっていきました。当時はびっくりするぐらいまじめなコでね。生徒会の選挙にも立候補するほどだったのですが……」(別の地元住民)

そんな親子の夢がかない、’90年にデビューを果たす。翌年に『どんなときも。』が発売されると、ミリオンセラーを記録。誰もが知るアーティストとなっていった。だが人気絶頂の’99年、覚せい剤取締法違反で逮捕。そして今回、2度目の逮捕となったのだ。

今年、槇原容疑者はさまざまな企画に乗り出していた。デビュー30周年の特設サイトを開設し、コンサートツアーの開催も決定。昨年10月には“30周年記念第一弾”と銘打ち、初のカバー曲のベストアルバムもリリースしていた。博之さんはいま、槇原容疑者への“深い失望”に打ちひしがれている。

「親と子ですからね。何か言葉にしなくても、それ(薬をやめること)はお互い気持ちで伝わっていると思っていました。実際、その後は順調にいっていると思っていました。ただ、今回で2回目。もう、息子の人生は終わりだと思います。私らも、ここには住んでいられなくなりそうです……」

“一家離散の危機”に無念の思いを明かす博之さんは現在、79歳。5年前には大腸がんを患ったという。それだけに、逮捕の一報はことさらこたえただろう——。

子供のころから父が全面支援

へー、そういう育ちだったのか…知らなかった。
お父さんの全面的な援助によって、息子の音楽のためには、金を惜しまず応援をしてもらっていた、と。
その最後が、クスリで廃業ということになったとしたら、もしもなったとすれば、お父さんにしてみれば、やりきれないだろうなあ。
「もう、息子の人生は終わりだと思います」とか、「私らも、ここには住んでいられなくなりそうです」という言葉は、やや大げさな感じがするが、お父さんは、最初の逮捕のあとに、もしかすると、かなり苦労をした…のかもしれない。
あちこちに頭を下げ、やっと忘れてもらえたと思ったころに、またか、みたいな。
2回目は、もう謝り切れない、みたいな。

お父さんも知っていたはずなのに

というか、前にも書いたけれども、お父さんは、槇原が、裁判での誓いを破っていたことは、知っていただろう。
金太郎と会わないと誓ったのに、さっさとヨリを戻し、事務所の社長にしていた、という事実は。
ならばなぜ、その時点で、「オマエ、話がちゃうやないか」ということを、言わなかったのだろう。
音楽の才能があるために、いろんなことが許されてきたというのが、槇原の人生で、そのために、自制心が働かなくなって、エゴが増大し、行ってはいけないところまで行ってしまったというのが、彼の本質のような気がする。
お父さんにしても、それだけ手をかけて開花させた息子の才能を、惜しむ気持ちがあるなら、なぜ、金太郎とヨリを戻した時点で「おかしい」と、思わなかったのだろう。
家族にしても、仕事先の人間にしても、「少々のことには目をつぶる」という姿勢になっていた、というのが、槇原の状況だったのではないか。
金太郎と縁を切るということは、クスリをやめるためには、絶対の条件だったのに、1年くらいで元に戻ってしまった、それを許容した時点で、10年後の結果は、決まっていたのかもしれない…。

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