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脱力おばさんの思い出話やつまらない日常を綴るブログ

沢尻エリカと梅宮アンナ~何がそんなに違ったのか~

女の子

沢尻エリカと梅宮アンナ

沢尻エリカと梅宮アンナというのは、ある意味、似たような境遇にあったというか、父親が日本人の大物で、母親が白人、ゆえに、ハーフの美形に生まれついて、芸能界に進んだ、と。
が、アンナは、男で大きな失敗をしたということはあっても、薬物に走るということはなく、いっぽうの沢尻は、字が汚いとか、教育の問題も、あったようだし、大人になってからは、10年以上の薬物人生にどっぷり、と。
そしてお高くとまって、エリカ様と呼ばれるようになる。
結婚すれば、モメにモメ、女優としての活動以外は、何一つ順調には行っていない。
この2人の、どこがそんなに違ったのかって。

父親の存在

やはり、エリカの場合には、大物であった父親が、中学生のときに病死している、ということが、大きいのではないのかなあ。
いっぽうのアンナは、学校ではいじめられても、ずっと父親が弁当を作ってくれたという、手間暇をかけてもらった少女時代。
父の思い出が「ラッキョウ」って↓

「躾」の問題

アンナは、甘やかされても、躾はきちんとされていたのではないかと思うのは、絶対に「パパは」とは言わないことかな。
他人に向かっては、必ず「父は」と言うように、躾けられたのであろう。
エリカ様のように、「別に」と言い放つようには育たなかったのは、それは父親の顔を潰してはならないし。
芸能人の家庭では、例えば二谷友里恵が、例の「愛される理由」という本の中で、芸能界の人に出会ったら、直接知らなくても、とにかく挨拶をしておくようにと躾けられていた、という逸話があった。
エリカの「別に」には、深い背景があり、それは「失うものが少ない」という状況で、親の顔を立てる必要もないとか、アンナとはどこが違ったのかという部分に、真の理由があったのだろう。
薬物をやり、いろんな男と付き合い放題に付き合ってしまうというのも、親の顔を立てる必要がないと、それは、あったのだろうなあ。
うんと年上の男と、取りあえず結婚をしてしまったというところにも、「父親の不在」という問題の深さを、感じる。
母親が外国人の場合に、父親が不在であるということは、たぶん、「心もとない」という意味合いが、普通の場合よりも、大きく、深いのだろう。

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