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The Miscellany

脱力おばさんの思い出話やつまらない日常を綴るブログ

「ご意見番」の数が減って、喜んでいるのは誰だろう

崖の上

ご意見番の数が減って、喜んでいるのは誰だろう

今年の9月は、本当によく雨が降る。
いつまでもじめじめして、気も晴れない。
というか、気が晴れない原因を、そのせいにしているのか、自分でも、よくわからない。

昭和の重鎮たち

ここ2~3年で、昭和の重鎮が、どんどん物故し、なんというか、「ご意見番」的な人たちは、どんどん数が減っている気がする。
いっぽうでは、憎まれっ子世にはばかるを、証明するために生まれたような人たちは、元気いっぱいである。
最近、誰か有名人が、「あの人は、もうあっちに行ったんだっけ」と書いていた。
自分の知り合いのうちの何割かは、この世にいないという状態になると、そういう感じになるらしい。

橋本治

これは、よく読んだ記憶がある↓
野中広務や、西部邁が亡くなったのも、衝撃的だったが、橋本治が、亡くなったのは、かなりショッキングなことだった。
ああいう人は、ずっと生きていないといけないような気がするけれど、そういうわけには行かなかったようだ。
71歳だと、まだ早かった。
同年代の中野翠は、健在のようで、やっぱり、女の方が長生きをするのかな、と思ったりする。

「活動的なバカ」の迷惑さを軽減してくれた人たちが

「ご意見番」的な人たちが、どんどんいなくなると、やんちゃな人たちが、元気になるから、困る。
「活動的なバカ」という言葉があるけれど、それは、最も迷惑な存在を指す言葉だそうである。
「活動的なバカ」は、何も考えていないから、よく動ける。
いろいろ考え過ぎて、動けない人たちは、そういうものが、よく見えるから、けなす。
「活動的なバカ」は、そういうふうにされるのが嫌だから、内心では、「バカだ」と言われることを、けっこう気にしている。
けれども、今は、なんというか、「活動的なバカ」にとっては、最も快適な環境に、突入しつつあるのではないだろうか。

「反知性」では、通じないだろ

「反知性」という、変な言葉は、私はたぶん、精神科医の斎藤環がそう言っているのを聞いたのが、最初ではないかと思う。
何を言っているんだろう、と思ってから、あっ、「バカ」と言いたいけれども、品を気にして、バカとは言えず、ゆえに、こんな造語を、繰り出したのか、この人、と思った。
しかし、「反知性」と呼ばれた人は、もともとバカであるから、これでは、何を言われたのか、わからないではないか。

「あほう」

関西では、バカと言われるより、アホと言われたほうが、相手の気分を害するらしい。
亡父は、関西系だから、四六時中、「あほうが」と言っていた。
アホが、ではなくて、「あほうが」なのである。
自分よりも年上の男性は、すべて「おっさん」と呼び、自分よりも年上の女性は、「おばはん」と呼んでいた。本人に向かっては、言わないけれど、陰で。
が、自分が50とか60を過ぎても、同じように言っているので、変だった。

重しが取れるほど、ヤバくなる世界、そして

とにかく、活動的なバカの人には、バカというふうに、言ってあげる人が、必要なのである。
そして、活動的なバカへの重しが取れれば取れるほど、世界は、ヤバくて生き辛い場所になっていく。
が、また、どっかでリセットするのであろう。
活動的なバカが、偉くなり過ぎて、だれひとり、バカと言えなくなって、バカの吹かすラッパの響きに合わせて、そのまま、崖に向かって突進し、何割かの人たちが、崖から転げ落ちて犠牲になったあとでなければ、「アイツ、バカじゃねーの」とは、言えないものなのである。
そして、生き残った人にとっては、それは「尊い犠牲」ということに、なってしまうのだが、崖から落ちてしまった人たちは、そう呼ばれて、感謝をされても、絶対に、嬉しくはないと思う。

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