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The Miscellany

脱力おばさんの思い出話やつまらない日常を綴るブログ

加齢と無意識の動作

高齢女性

加齢と無意識の動作

30代中盤のころだったか、とあるパートの女性(当時50代)が、こう言ったことがある。
仕事が終わって、駅について、改札を出ると、無意識にスーパーに入って行って、知らないうちに買い物カゴを持っていることがある、と。
そのうちに、特に買い物がなかったことを思い出して、あら、私、何をしているのかしら、と思ったりするのだという。
えっと思って、ものすごく驚いた覚えがある。
なぜかというと、そのころの私は、とにかく時間がなくて、少しでも効率的に、日常の些事を済ませようと、真剣だったから、である。
時間を節約するための本とかを買って、読んでみたこともある。
だから、いつも、あそこに行って、いつ何を何分で済ませ、次にあそこへ行って、何を何分で済ませ、というふうに、少し先の未来のことを、分刻みで考えていた。
頭の中は、いつも、けっこう忙しかった。
家に帰ってからも、何時までに何をやり、何時ごろまでには布団に入る、そうすれば、何時間寝られるだろうとか、懸命に、考えていた。
だから、無意識にスーパーでカゴを抱えている自分に気が付いて、驚いてしまうということは、一度もなかったし、そういうことがあるとは、想像できなかったのである。

できなくなるときは、加速度がつく

自分が50を過ぎて、わりと気ままな生活になってみると、どんどん、そういうことができなくなっている自分に気が付く。
一度できなくなると、もはや、分刻みで予定を立てて、その通りに行動するということは、すぐに、1年くらいで、できなくなる。
できなくなるときというのは、加速度的にできなくなり、後戻りは、しない。
分刻みで予定を立てる生活から、切り替えるときには、けっこう大変で、標語を書いて貼っておいたりしたものだが、すぐに、そういうものは、不要になった。

シュールな「手続き記憶」

手続き記憶 - Wikipedia

手続き記憶は簡単には言葉で説明できないことが多く、意識しなくとも使うことができる。いわゆる「体が覚えている」状態である。手続き記憶は、時間をかけて学習した刺激応答などのパターンを反映することができる。一方、宣言的記憶は言葉にするのが容易である。手続き学習の例として、自転車の乗り方の練習、タイピングの練習、楽器の練習、水泳の練習がある。手続き記憶は永続性がある場合もある。

「手続き記憶」というのが、あるそうだけれども、老人性の健忘症の人とかが、運転はできるのに、家に帰る道がわからなくなっているという、シュールなドキュメンタリーを、見たことがある。
運転ができるなら、道だってわかりそうなものだが、そうではないのである。
それは、運転というのは、「手続き記憶」だから、だそうなんである。
記憶には、「種類」があるらしい。
体で覚えた一種の「型」のようなものは、頭が鈍くなってきても、忘れないらしい。
ヒトの体というのは、面白くできている。

ボケてもできそうなこととは

改札を出たら、無意識にスーパーでカゴを持っているというのは、もしかすると、「手続き記憶」なのかもしれない。
私が健忘症になって、かなりひどい状態になったときに、それでも、普通にできることがあるとしたら、それは、なんだろう。
頭を使わなくても、勝手に体が動いてくれるような、なんらかの作業、動作。
なんだろうなあ。わからない。

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